野々村竜太郎議員は何をした?生い立ちとプロフィールまとめ

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泣いている野々村竜太郎議員
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2014年に号泣会見で世間を騒がせた野々村竜太郎元兵庫県議会議員

彼が2024年2月より『ココナラ』というネット上で自分のスキルを売り買いするサービスで、「悩みや愚痴の聞き役」を請け負い出したことがニュースになりました。

このニュースを見て、野々村竜太郎さんのことを久しぶりに思い出した方も多いと思います。

「議員の泣き叫び」というインパクトだけは覚えているけど、結局何をしたんだっけ?と思った方も多いはず。

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目次

野々村竜太郎議員の「号泣会見」は2014年!

野々村竜太郎元議員が、かの有名な「号泣会見」を開いたのは2014年7月1日

当時あまりの衝撃に国民がしばし言葉を失ったあの会見から、もうじき10年が経とうとしています。(2024年2月現在)

野々村議員と聞いて、号泣会見というところまでは思い出しても、何をして会見したのかまでは思い出せない…。

そんな方のために、野々村竜太郎元議員が何をしたのか、彼の生い立ち等も含めて振り返りたいと思います。

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野々村竜太郎議員は何をした?

2014年、当時兵庫県議会議員の野々村竜太郎氏が、政務活動費をもらうために嘘の申告をしていたことが発覚。

だまし取った金額は当初約300万円と言われていましたが、最終的な調査で約913万円にまでのぼることが明らかになりました。

カードの利用明細書の金額を修正テープで改ざんし、取得した公金は主に生活費や貯蓄に回していました

政務活動費の不正請求

野々村議員は城崎温泉や兵庫県佐用町など、遠方に計195回の日帰り出張を繰り返したとして計300万円以上を支出。

神戸新聞が調べたところ、交通費の領収書添付が一切なく、現地での活動を示す記述も見当たりませんでした。

いわゆるカラ出張です。行ってもない出張で交通費とやってもない活動で活動費を申請し、不正取得していたんですね!回数もすごい!

後の調査で、商品券や食料品の購入なども政活費から支出していたことも分かりました。

号泣会見

2014年7月1日に約3時間にわたる会見を開いた野々村氏。

本人は正当性を強調しながらも、訪問先や相手について質問されると「相手との約束があり公表できない」などとはぐらかし続けました。

自分からやりたいと言い出した会見でしたが、畳み掛けられる質問にまともに回答することはなく、極め付けにこぶしを振り上げて大泣きし始めます

目をハンカチで押さえるでもなく顔を隠すこともなく、顔をクシャクシャにして、拳をブンブン振りながら大声で泣き叫び。まさに子供の泣き方だったのです。

当時、小学生でもあんな泣き方しないぞ…?とドン引きしたことを覚えています。

政治とカネの問題はよく見るニュースなのですが、野々村議員の泣き方が異常だったため、日本中がテレビに釘付けになりました。

裁判

号泣会見が開かれた後、県議会が野々村被告を事情聴取。

しかし真相解明には捜査が必要として、県議会が虚偽公文書作成・同行使の疑いで兵庫県警に刑事告発しました。

刑事告発された当日に議員辞職し、政活費も全額返還しましたが、悪質性の高さから神戸地検は異例の在宅起訴を選択。

詐欺と虚偽有印公文書作成・同行使の罪に問われました。

初公判のドタキャンなどもありましたが、全3回の公判で野々村氏は起訴内容を否認。何を聞かれても「記憶にない」と繰り返していました。

判決

神戸地裁の佐茂剛裁判長は、野々村元兵庫県議会議員に対し、懲役3年、執行猶予4年(求刑・懲役3年)の判決を言い渡しました。

判決の主文が読み上げられると、野々村氏の直立不動の全身がわなわなと震え出し、これまでの3回の公判で見せた大きな声ではきはきと応じる姿からは一変。

有罪判決にうなだれました。

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野々村竜太郎さんが恋愛相談を開始!

裁判が終わってから姿を消していた野々村氏ですが、2024年2月にネット上での活動をスタート

2024年2月13日から、アプリ上で『野々村竜太郎の恋ばなチャンネル』と題した恋愛トークラジオを始めました。

チャンネル登録をしたリスナーに対し、恋人との距離を詰めるためのテクニックなどを伝授。

また同じく2月から、ネット上で自分のスキルを売り買いするサービス「ココナラ」で、悩みや愚痴の聞き役を請け負いだしました。

〈相談料金〉
・悩みを打ち明けるなら1万5000円
・ネット被害の相談.恋愛相談は5万円

このような価格設定で募集をかけており、説明文には「世界的に有名人の私が、あなたのどんな悩みでも受け止めます!」とも書かれています。

ラジオ内容やココナラの商品内容からは、恋愛に関して自信があるように見えますが、果たして本人にスキルはあるのでしょうか?

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野々村竜太郎さんの生い立ち・プロフィール

本名:野々村 竜太郎(ののむら りゅうたろう)
出身地:大阪府大阪市
生年月日:1966年7月29日
出身高校:府立北野高等学校
出身大学:関西大学法学部
趣味:読書、カラオケ、献血、ジョギング
短所(自称):笑い声が大きい
好きな曲:心の瞳、奥入瀬、熱き心に、青葉城恋唄、北酒場
兄弟姉妹:姉2人、兄1人(4人兄弟の末っ子)

特に母親の溺愛ぶりは相当なものだったらしく、まさに”蝶よ花よ”と育てられたそう。

それゆえか、我慢がきかない性格になり、学生時代には「発作マン」という不名誉なあだ名をつけられていました。

「発作」は病気ではなく自分の言い分が通らないと駄々をこねてキレてしまう性格のこと。このエピソードを聞くと、例の会見の発言や行動に繋がりますね。

高校時代はコーラス部に所属。体育が苦手という理由で不登校になって1年留年したそう。

政治の道へ進出

大学卒業後、川西市職員となり兵庫県川西市の職員として約15年働いていました。

しかし北野高校の後輩にあたる橋下徹さんが大阪府知事に当選したことに触発されて退職

野々村さんは政治家になるべく選挙活動を始めますが、太子町長選挙と二度の西宮市長選挙、兵庫県議会議員補欠選挙で怒涛の四連敗という苦難の日々を送りました。

▼野々村竜太郎氏が当選するまで

2008年7月27日
兵庫県太子町長選
候補者3人中最下位の485票で落選

2008年11月16日
兵庫県西宮市長選
候補者6人中最下位の6184票で落選

2009年7月5日
兵庫県議補選西宮市選挙区(被選挙数1)
候補者3人中、最下位の33359票で落選

2010年5月16日
西宮市長選
候補者3人中最下位の25924票で落選

2011年4月10日(44歳のとき)
兵庫県議選西宮市選挙区(定数7)
候補者10人中、7番目の11291票で最下位当選

ようやく2011年4月の兵庫県議会議員選挙で当選して念願の議員になりましたが、前述の通り政治活動費の不正使用などを追及されて失職しました。

号泣会見の衝撃映像は、テレビやインターネット上で繰り返し流され、海外メディアも取り上げるほど注目されました。

兵庫県議会議員時代の名刺もインパクトがあり、スピリチュアルだと話題になっていました。

落選した2008年の西宮市長選では母親と一緒に街頭演説に立ち、落選後の会見にも母親がついてきて、取材陣を驚かせました。

議会の傍聴席にも両親を呼んでいて、よく議会が終わると両親が控室にもやってきたそう。

家族と仲が良いのはとても良いことですが、よく考えたら職場に親が度々やってくるというのはあまり見ない光景ですよね。

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まとめ

しばらく姿を見ていなかった元議員の野々村竜太郎氏。

2024年2月よりネットでの活動をスタートし、世間に号泣会見の記憶を呼び起こさせました。

このニュースを機に、野々村氏の恋愛相談等も商売繁盛するかもしれません。これからの動きにも注目です!

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