ドジャースの大谷翔平投手の通訳を務める水原一平さんが、「巨額の窃盗の疑い」で2024年3月20日に球団から解雇されました。
水原一平さんは、北海道苫小牧市生まれ。
1991年から父親の仕事の都合でアメリカ合衆国で育ち、2017年からは大谷翔平選手の専属通訳として活躍されていました。
水原一平の前職が気になる!
水原一平さんは、2017年から大谷翔平選手の専属通訳として活躍され、大谷選手と行動を共に。
大谷選手の活躍に伴い、その名が世間に知れ渡りました。
本記事では、水原一平さんが大谷選手の専属通訳以前はどのような仕事をされていたのか、調査してまとめました。
水原一平の前職は?若い頃や昔の職歴まとめ!
2008年 (24歳) 日系企業の会社員
水原一平さんは、カリフォルニア大学リバーサイド校を卒業後、日系企業に就職しています。
会社名までは分かりませんでしたが、一旦は自身の育ったアメリカで会社員として勤めていました。
2010年 (26歳) 岡島秀樹選手の専属通訳
26歳の時、友人からニューヨーク・ヤンキースが通訳募集をしていることを教えてもらい、応募して見事採用されました。
採用後は、岡島秀樹選手の専属通訳として働いていました。
しかし岡島選手の仮契約中に行われたフィジカルチェックで左肩に異常が見つかったとしてパスできず、契約解除に。
それに伴い、2012年2月17日に水原一平さんも契約解除となりました。
2012年 (28歳) 日本ハムファイターズの球団通訳
岡島選手の専属通訳契約解除後、帰国した水原さんは、北海道日本ハムファイターズの球団通訳になりました。
ブランドン・レアードやクリス・マーティンなど日本ハムに所属する外国人選手の通訳や生活のサポートを務めました。
「連絡してくれたらすぐに駆けつける」と選手たちに伝えていたり、選手の家族にまで心遣いをしていたそうです。
言葉のわからない国で家族を連れて暮らすには、水原さんのような存在はとても心強かったことでしょう。
大谷翔平選手も、水原一平さんが日ハムに採用された2012年に日ハムに入団しています。
2017年 (33歳) 大谷翔平選手の専属通訳
2017年オフに日本ハム所属だった大谷翔平がメジャーリーグのロサンゼルス・エンゼルスへ移籍。
その際大谷翔平選手から声をかけられ、大谷翔平選手の専属通訳としてエンゼルスに所属しました。
大谷翔平は日ハム時代から「僕がアメリカに行くことになったらついて来て下さい」と水原さんに声をかけていたそうです。
通訳以外にも運転手やキャッチボールの相手など、公私にわたり大谷選手をサポートしていました。
2021年オフのMLBの労使協定交渉に伴うロックアウト中、選手と球団職員の接触ができなくなることからエンゼルスを一時退職。 その後、協定締結後に球団へ復職しています。
2024年にはエンゼルスからドジャースへ移籍が決まり、水原さんも共にドジャースへ移籍。
しかし2024年3月20日、開幕戦の直後にドジャースを解雇となりました。
評判の良かった人柄
水原一平さんは、日ハムの日本人選手からも好かれており、「一平ちゃん」との愛称で呼ばれていました。
マスメディアによる外国人選手たちへの取材に協力的で、外国人記者たちからも好評だったそうです。
大谷選手も、日ハム時代の5年間で人柄や仕事ぶりを見てきたからこそ「ついてきてほしい」と声をかけたはず
メジャーリーグの日本人選手の中にはクラブハウス(控え室)で孤立してしまう者もいたことを耳にしており、大谷選手を孤立させないように注力していたそう。
エンゼルスの選手たちが、あるスマートフォンのゲームで遊んでいることを大谷選手に助言。大谷選手もそれをダウンロードして仲間に加わったりもできたそうです。
クラブハウス管理人のエンゼル氏は「水原が大谷をすごく助けてくれている。だから精神的にも良い状態だったと思う」と話していました。
誰からも評判の良かった水原さんだけに、世間のショックは大きいものがありました。
まとめ
公私共に大谷翔平選手の支えとなっていたであろう水谷一平さん。
大谷選手は水原一平さんについて、「友達ではなく、ビジネスの関係と割り切って付き合っている」と過去に発言しています。
それでも、長年苦楽を共にし、冗談を言い合ったりゲームをしたり、相手がいない時には練習に付き合ったり、お互いに相棒のような存在だったはずです。
精神面に全く影響がないと言うのは嘘になるのではないでしょうか。
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